アニメファン達の間で好き嫌いが分かれる「日常系アニメ」。
日常系アニメは、おっとりとした平和な日常ストーリーにどっぷりハマる人達がいる一方、アニメの設定の考察や高度なストーリー構成を重視する人達には「中身がすっからかん」と馬鹿にされがちです。
仕事に忙殺されがちな社会人達がこぞって日常系アニメにハマる理由が、なんだか社会の闇を感じさせる悲しい物だったので、分かったことを報告します。
現実に疲れ切ったサラリーマン達が日常系アニメにハマる理由
仕事で疲れた社会人達が、こぞって「日常系アニメ」にハマる理由は以下のようなものです。
- 日常系アニメは基本的に、「優しさで満ちた人間関係」で成り立っている
- 裏切り・後悔・憎しみといった殺伐とした展開はほぼ100%起こらないという安心感
- 現代の現実世界を舞台にしている作品がほとんどなので、複雑な作中設定などはほぼ無い
- ストーリーは単純で、簡単なものなので、頭を使わずに観られるという低負担
- ストーリーが簡単で、1話完結型のタイプが多いので、何か作業をしながら観たり、途中から見始めても、十分に話についていける
- 平穏無事・優しい人達・優しい気持ち、といった「理想の日常」を表現している
会社での嫌な人間関係・目を背けたくなる現実に疲れ切った会社員達が、「理想の日常」を表現した日常系アニメにハマることが多いようです。現代社会の闇の一端をうかがい知ることができる現象です。
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日常系アニメを観る行為は、YouTubeのような動画投稿サイトで「猫や犬のような可愛い動物の動画」をぼんやりと観る行為に通じるものがあります。水槽でゆらゆらと泳ぐ、色とりどりの熱帯魚を眺めることにも似ています。
可愛い女の子キャラ達が、なんということのない掛け合いをして、作中世界で動き回っている様子を、何も考えずにぼんやりと見ているだけで、癒されて楽しいのです。
「日常系アニメ」の簡単解説
日常系アニメの多くは、現代の現実世界を舞台としていて、「魔法」や「異世界」や「SF」のような非日常的な要素は含まれない。
バトルや事件の謎解きのような展開もほぼ起こらず、物語には起伏が無いのが特徴。そのことが「中身が無いアニメ」と低評価されることもあるが、何も起こらない平穏な日常こそが日常系アニメの最大の価値であり、それに魅力を感じるファンが大勢いる。
帰宅後は頭が疲れ切っていて難しいストーリーは脳が受け付けない
日常系アニメにハマる社会人が多いのには納得する。
何も起こらない日常系アニメの方がすんなり頭に入ってくる。
観ていて疲れるんだよ。
そこへ行く前にあれこれ設定が出てくると「もういいや」と投げ出してしまう。
そのリスクを考えれば、最初から物語に起伏が無い日常系の方が安心して観ていられる。
そういう人達には、癒し&現実逃避の効果がある日常系アニメがうってつけ。
フィクションの世界でまで重苦しい作品を観る心の余裕が無くなる。
好景気時なら、シリアス・ドロドロした人間関係の作品を観る心の余裕も生まれてくる。
考察の余地も無いくらい単純な日常系アニメをぼんやり観て楽しめればそれでいいと思えるようになった。
でも、今は日常系ばっかり。
国民のみんなが、自身の日常に疲れていったんだよ。
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- 加齢によって思考の柔軟性が失われてそのアニメ独自の複雑なオリジナル設定を受け入れにくい
- 仕事で頭も身体もクタクタなのにわざわざ身構えて見るような難しいアニメは見たくない
- 会社でのストレスや荒廃した日常に嫌気が差していて理想的な日常を描く日常系アニメへの逃避目的
がだいたいの共通項
有名アニメ監督が語る「日常系アニメのヒットの理由」
- 「攻殻機動隊S.A.C.」「東のエデン」シリーズなどを手がけた神山健治監督は、以前はアニメ作品にSF・ファンタジー要素が求められていたが、現代ではそれらが求められることがだんだん無くなってきている、と明かす
- 現実世界と地続きである、現実的な内容のアニメ作品が求められている
- 2011年の「東日本大震災」をきっかけに、震災以後は深刻なストーリーの作品は求められなくなった
- 若い世代で、アニメを観なかった人達も普通にアニメを観るようになり、アニメの視聴者層が広がってきていて、アニメを観る層の「世代交代」が起きているような気がする
- 神山健治監督が子どもの頃に観ていたアニメキャラのルパン三世やシャアのような人物でも、「アニメの世界だから」と視聴者に受け入れられていた。
しかし、現代では、自分たちの生活圏に無い人・者・物は求められなくなった。
無国籍な内容のアニメを作ることは不毛だとここ数年に感じている。
神山健治監督の作品「ひるね姫~知らないワタシの物語~」制作インタビューのお話より
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