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努力する才能がたしかに存在することと、努力の才能の正体解説

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「努力できる才能」という言葉を、ネット上でよく見かけます。

調査した結果、どうも努力できることは生まれつきの才能の一種であるようなので、そのことを解説します。

 

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努力する才能の正体について考察する、ネット上の意見

 

努力できるかどうか、努力が続くかどうか、って
その人が生まれ持った欲望の強さに大きく依存する。
生まれつき欲が強いか弱いかなんて、後天的な努力でどうにかなる問題じゃない。

 

努力できる人って、大きなエネルギーを持っている。
性格とか、考え方とか、行動が、エネルギッシュ。
それとは対照的に、努力できない人は無気力系。




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「努力できる才能」ってつまり、
全然成功する気配が無い状況でも、毎日8時間練習することを、年単位でずっと続けられる能力、
のようなもの。
はっきり言って、狂気じみてる。
こんな能力、ほとんどの人間は持っていない。

 

「物事に興味を抱き続けることができる」「負荷の大きい努力行為にも音を上げずに耐え続けることができる」
が努力する才能。
これって、生まれつきの性格・脳の作りにおもいっきり左右されるよね。
つまり、努力する才能をもつかもたないかは、運。

 

よく言うでしょ。
「諦めないのも才能」
って。

 

何かの分野で努力が続く人は、努力を始める前から、その分野の才能をもっていたというケースが多い。
その分野で何の才能も無い人は、ただただ徒労感を味わうばかりで嫌になり、努力が全然続かない。

 

単発の努力なら、できる人はそれなりにいる。
しかし、3ヶ月・半年・1年・3年と長期的な努力を続けられる人は滅多にいない。
なぜなら、長期的努力は精神的に辛すぎるから。
もはやこれは完全に才能の領域。

 

林修先生「努力に大切なのは、正しい場所・正しい方向・十分な量」。
正しい場所と正しい方向を見抜ける頭の良さがあり、さらに十分量続けられる忍耐力が無いと、努力が実らない。

 

どの部分にどれだけ労力と時間を注げば良い結果が出てくるのか。
これを正しく推理できることが努力成功の大前提。
そういう意味では、物事を筋道立ててまともに考えられないバカには、努力は成功しようがない。

 

発達障害のADHDを抱えていると、
興味の対象があっちこっちへめまぐるしく移動してしまうから、いちじるしく集中力に欠け、本腰を入れた努力ができない。
運悪くADHDを抱えて生まれてしまった者は、努力する才能が無い。
この事例を見るに、事実として、努力する才能があるかないかには運が多分に絡んでくる。

 

経済的に底辺にいる人達の多くに共通していることが、
努力できない、ってところ。
意思の強さ・未来を見据えた先見性・怠惰に流されないための節制の心得、
これらの能力が欠如している。
そして、これらの能力の有無は、全て「脳」の良し悪しに依存する。
つまり彼らは、残念ながら、頭が悪すぎる。

 

「何をどう行動すれば良い成果が出てくるかを推理できる」
「性格的に、前向きで、明るい未来を信じることができる」
「自分の中の努力モチベーションを長期的に保ち続けることができる」
「なかなか結果が見えてこなくても諦めない・折れない」
「欲に流されず、ストイックな気質」などなど
これらの性格的特徴・能力を1つにパッケージしたものが「努力する才能」。
これを生まれつき持っている人って、とんでもなく運が良い。
言い換えると、努力する才能の完全パッケージを持ち得る確率は低すぎる。
努力する才能のパッケージが不完全版だったり、そもそも生まれつき持っていないと、
何をどう努力すれば良いのか考えつけなかったり、明後日の方向へ努力してしまったりする。

 

我慢・忍耐が一切できない(ただのバカ、人類の大半を占める)

辛抱強く、コツコツ愚直に物事に当たる(一部の人、でも我慢強さだけでは行けるステージに限界があるので努力はあまり実らない)

物事のコツをつかんで要領良く成功する(ごくごく一部の人、努力する才能がある)
こうやって見ると、努力する才能とは稀少であり、普通に、凡人が持ち得ない特殊な才能の一種であることが分かる。

 

「賢い人は、努力のしどころが的確だから、努力が成功する(つまり、努力する才能がある)」、
「バカな人は、努力のしどころが的外れだから、努力が失敗する(つまり、努力する才能がない)」。
この事実から考えるに、「努力する才能」の正体とは、「ある一定水準以上の賢さ」では?

 




人間の性格が千差万別である以上、努力できない性格もある

まず不動の前提として「人の性格や好みはそれぞれみんな違う」

 

何かを成し遂げることにストイックな性格の人もいれば、だらけたりなまけたりするのが好きな性格の人もいる。人間には多種多様な性格があることは動かしようがない前提条件だ。

生まれ持った性格に加えて、育った環境で形成された性格次第では、問題の解決に積極的な性格になる人もいれば、物事の解決に消極的な性格になる人もいる。




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さらに努力を始めるにはどうしても「意志の力」が要る

 

問題の解決に向けて努力をしようと行動するには、まず動き始める「意志の力」がどうしても不可欠。これも誰にも動かせない前提条件だと思う。布団から起きようとする意志も思考も皆無なのに、もしも体が勝手にどんどん動き出したら、それは心霊現象か精神疾患のどちらかだろう。

生まれや環境で形成された多種多様な性格の中には、この「意志の力」が決定的に欠けた、誘惑に弱かったり怠惰に流されやすい種類の性格が必ず存在すると考えるべき。

努力を途中で止めない意志の継続や計画性など、努力を完遂する過程には色々な場面で「意志の力」が必要になってくる。

誘惑に弱かったり怠惰に流されやすい種類の性格の人は「意志の力」に欠け、つまり「努力するための能力が無い(=努力の才能が無い)」ということになる。




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努力できる人や成功者は自身の努力の才能を実感できない

 

成功者の言葉しかこの世に残らないから「やればできる」が格言になる

 

成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提

(陸上競技者・為末大氏の言葉)

 

 

努力できる性格に生まれついた・育った人にとっては、努力をしようと行動を始めるか行動を始めないかは「意志の有無」一つ次第だ。だから努力できる人は「努力は意志次第」だと思うようになる。




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成功者にとっても同じ。成功者らは行動を始めようとする意志が有ったから行動を起こし、結果として生まれ持った才覚や運に助けられて成功した。後から考えれば「もしも努力しようと行動を始めなかったなら俺は成功できなかっただろう」思うようになるだろう。だから成功者らは「やればできる」と公言するようになる。(挑戦に失敗した人の言葉は、華やかな成功者の声に埋もれてしまって表にほとんど出てこない)

残酷な話だが、健全な「手」を生まれ持った人にとって、目の前にあるコップを掴めるか否かは「掴もうとする意志があったか無かったか」しかコップを掴めた理由として思いつかない。そして、「手」は生まれ持ったものだから、最初から身に付いているものとして当たり前すぎて、その存在感や効果やありがたみを実感できにくい。

「手」を生まれ持たなかった人達にとっては、たとえ意志が有ろうがなかろうがコップは手では掴めないのだ。(「手」は無くとも「足」で掴めばいいだろ!という考え方は置いておいて)

 




確かに努力は一種の才能だ じゃあその先を考えよう

 

日本人は努力や根性論が好きな国民性をもつので、努力をできない人には厳しい傾向が強い。

「努力できる才能なんて無い!努力は誰でもできる!」という思い込みや努力信仰のせいで現実の実態をよく見ようとせず、ただ努力できない人達を叱咤するだけでは、問題解決の方法をはきちがえている。

 

なんというか…「努力すればなんでもできる!」という人々の耳に気持ちよく受け入れられる言葉や、成功者たちが自身の好感度を上げたり自伝の本をよりたくさん売るために「努力すれば必ず成功できる!」とテレビ番組で吹聴する、間違った希望や商業主義のせいで、日本中の人々の「現実の実態に対する認知」がゆがみにゆがみ、「努力の才能が無い人達」への対処方法がずっと勘違いされたままでいる現状は、ブログ管理人にとってすごく恐いのです…。

 

 

「君は残念ながら「手」を生まれ持っていなかったんだね。
なるほど。
じゃあ「手」の無い状態でもなんとか問題を解決できたり生きていける方法をいっしょに考えようか」

 

 

こういう考え方が努力できる才能を持たなかった人達への、現実的な解決策・救済策だと思う。




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