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学校で勉強する意味を、後から振り返ってわかったこと集

 

学校を卒業した後、

学校で勉強をすることの意味や、勉強をすることの効果などを後から振り返ってわかったことをネット上で調査したので分かったことを報告します。

 

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「学校で勉強する意味」について、後から分かったこと

 

世の中、あらゆる局面で「ふるい」に掛けられる。
ふるいの審査基準は、ほとんどの場面で、学力と学歴。
自身がふるい落とされないために、ある程度以上の学力・学歴が必要。

 

学校で、週5で嫌な勉強をし続けることは、
「やりたくないことを、我慢してやり続ける能力」
を身につけるための訓練。

 

学校の勉強は、
「努力行為」をするための方法を学んだり、努力行為を訓練するため。

 

あまりにも怠惰な人間・無能すぎる人間・反社会的で危険な人間を、
社会からはじくための側面が、学校の勉強には隠されている。
上記の奴らはほぼ確実に低学歴・学校中退歴のマーカーが付いて、社会のみんなから相手にされなくなる。
「これまでちゃんと努力を続けてきた、まっとうな人間達」が集まる職場や環境には、もう顔も出せなくなり、みんな安全安心。

 

「凡才・無才の人間でも、努力して学校を卒業すれば、ちゃんと企業就職できる」
ので、学校の勉強は弱者を保護・救済するためには優れた効果がある社会システム。
その代わり、学校の勉強さえ我慢できないタイプの劣等人間には社会的には何の救済も施されないが…。

 

学校で時間割に従って勉強をする日々は、
「特定のルールが敷かれた世界の中で、他人と協調し、スケジュールを守って上手くやっていく能力」
を養う良い訓練となる。
優良会社員を大量生産するための訓練、と言い換えることもできる。

 

「学校の勉強に何の意味があるんだよ!!」「社会で因数分解が何の役に立つんだよ!!」
って教師や親に噛みつく学生も時々いるけれど、
端的に言うと、こういう人間は社会に不要なタイプの人間。
・「求められることをやる努力」をせず、「求められることをやらずに楽をすること」の方を選択しているから
・既存の体制をいたずらに混乱させるだけの性格だから
このような理由から、要らない人間。
学生の時点でももちろん社会に要らない人間だし、大人になって考え方を改めない場合は一生社会に要らない人間。

 

小学校・中学校は、
登場人物の年齢が若いだけで、実社会の縮図と見て間違いない。
だいたいの生徒が日々の勉強と宿題に追われるだけでぼけーっと過ごしてしまうけれど、
ちょっと頑張って、学校内の人間関係や各種の現象にもっと注目するべき。得るところが大きいから。
「要領の良い子が良い目を見ている」とか「モテる男子は、クラスという世界の中のリーダー的存在」とか、
そういうのは実社会でも同じだから。

 

時間をかけて復習し続け、自分から反復練習し続ければ、
その結果がテストの点数にしっかり反映される。
人生で最も実りやすい努力の種類が、学校の勉強。
(社会人になった後の努力は、明確な答えの無いモノをあれこれ模索するタイプが多く、努力が実りにくい)
学校の勉強で努力の有効性を学ぶことで、「努力の大切さを信じられる人間」を作り出すことが学校の存在意義。

 




「学校で勉強することの効力」について、後から分かったこと

 

学校の勉強は「守り」のための勉強。
社会の既存のレールに乗って、保守的な人生を歩みたいなら、学校の勉強の効果が大きい。
その代わり、学校の勉強では「攻め」の力は身につかない。

 

やりがいが大きかったり、
スター性が備わっているタイプの仕事は、
それに就くために高学歴が必要。
学校で必死に勉強しないと高学歴は獲得できず、
したがって上記のようなレアな仕事にも就くことができない。

 

高校まで、あるいは大学まで出た、というその人の実績は、
その人がある程度の能力をもち、努力や忍耐ができることの証明になる。
企業側は、その証明がされている安全な人間を社員採用したい。

 

学力や能力が低い者ほど、
・危険(命の危険や、精神が壊れる危険)
・他人から軽蔑されたり暴言を吐かれる
・恥ずかしい思いをする
・嫌な思いをする
・不潔
・法的、倫理的、世間体的にアウトな職
・ストレス過多
・やりがいも創造性も無い
・頭ではなく、肉体を酷使するので疲労が激しい
といった特徴の仕事に就かざるを得なくなる。
ヤ○ザとか夜のお仕事なんて、その最たる部類。
学力や能力が高い者ほど、そういった世界から遠い安全な仕事に就くことができる。

 

各教科を勉強して、この世の種々の知識を獲得することは、
「教養」の下地を作る上でどうしても必要。
ここで言う教養とは、
「知識と知性を愛し、酒やタバコや食い物や女やギャンブルに依らずとも人生を楽しむことができる能力」
のこと。

 

現行の社会では、
その人間がまともかどうかを計るには
「ちゃんと勉強ができるか、どのくらい学力が高いかを調べること」
が最高・最善・最適な方法だと、そう権力者達によって定められている。
そういう性質の社会だから、今の社会で認められたかったら学力・学歴を引き上げるしかない。

 

非常に有能だったり、
何らかの突出した才能をもっている人は、
学校の勉強はほとんど恩恵が無い。
会社に依存することなく、自分の才覚で大金を稼ぎ出せるから。

 

「この場面での、核心的な問題とは何か」
「その核心的な問題を解決するために、自分はどうやって取り組むべきか」
こういった思考や姿勢が、学校での座学を通して培われる。

 

学校に通って獲得した学力・学歴は、
ある種の「保険」なんだよ。
この保険を持っていれば、仮に人生でつまずいても、保険の効力のおかげでそこまで底辺に堕ちることはなくなる。

 




「学校で勉強する各教科」について、後から分かったこと

 

「古典」と「漢文」は、マジで役に立つ機会が無い。
昔の時代の寓話や精神性を学ぶ意義はあるとはいえ、時間の無駄の性質が強い。

 

人によって教科の得意不得意の差はあれど、
おそらく、「数学が一番苦手」という学生の声が最も多いだろう。
最大の難敵の数学を制することができれば、学校の勉強で圧倒的優位に立てる。
数学を嫌って文系へ逃げると、大学を出た後の就職状況が悲惨になる。

 

学力でその人間の価値が計られる社会である以上、
今の学力至上主義の教育はおおむね正しい。
ただ、社会で使いもしない知識をクイズ形式で次々と叩き込むよりも、
もっと別の重要なことがあるだろ、と思う。
「選択の仕方」とか「自分の頭で物事を考える方法」とか「異性との恋愛の仕方」とか。

 

教師は、
「教員採用試験に合格する程度の学力とコミュ力を持っている、
特定の教科内容に詳しいだけの、おっさん・おばさん」。
教職は立派で大変な職業だとは思うけれど、
教師自身はそこまで凄くはないし、全面的に信頼・崇拝すべき人間でもない。
普通に嘘をつくことやごまかしやいじめの黙認もする。

 

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