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最近の若者が格差と貧困化のせいで努力よりも才能を信じる現象

 

現代の若者の間で「努力よりも才能が大事。才能が無くちゃ意味がない」という才能重視の考えが広く浸透しつつある現象について調査したので分かったことを報告します。

 

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若者の3割が「努力は報われない」という感覚

 

若者の3割が「努力は報われない」という考え

  • 20代~30代の若者の回答で、「努力しても報われない」が約3割に上った
  • 日本の将来・経済には楽観的な考えをもっているが、その反面、自分自身の生活は変わらず努力も報われない、という若者心理が本調査で浮き彫りになった

2013年10月から12月にかけて回答調査し、情報・システム研究機構「統計数理研究所」が発表した「日本人の国民性調査」より

 




最近の若者が努力を信用しなくなった3つの原因

 

若者が努力を信じられなくなり、「結局は才能だ」と考えるようになった原因は、次のようなものが予想される。

 

  1. インターネットと、インターネットをいつでもどこでも閲覧できるスマートフォンの国民的普及で、
    「格差社会という現象」「労働者からやりがい搾取しようとするブラック企業の存在」「少子高齢化のせいで日本の国力が落ちてきていること」「遺伝の影響力の強さ」「努力でたどり着ける場所の限界」といったネガティブ情報に簡単に触れられるようになった
  2. 平成生まれ世代は、生まれた時からずっと日本経済が停滞していたので、強い不安感・無力感を抱きながら育ってしまった
  3. 上記の情報・無力感のせいで、日本の年配世代が信じている「根性論」は、若者は効力も魅力も感じられない

 

成功するにはやっぱり才能が要る、とする有用コメント

 

努力は大事だし、多くの場合に有効だけれど、それでもやっぱり、
「超えられない才能の壁」ってのはたしかに存在するんだよな。

 

凡人達にとって唯一の希望とされている「正しく努力できること」も、
実はこれは才能の1種。
能力が無い人が早めに自分を見限るのは賢明な判断だよ。

 

才能をもっていない奴が努力しても伸び悩むのは事実だし、
環境が悪い奴は努力しようが無いのもまた事実だろう。

 

ゆとり世代には「真面目に頑張るのがださい」って思想傾向が顕著。

 

自分が「こんなの、みんなできて当たり前でしょ?」って思う日常生活レベルの課題(ゴミを決められた曜日に出すとか郵便物の郵送手続きとか)ですら、
明らかに人によって得意不得意の差がある。
なので、どんな分野であれ才能の壁はけっこう高い。

 

成功するための必要最低限の行為である「真剣になって、集中して取り組む」ということでさえ、実は立派な才能。
ダメな人は30分も持たずに投げ出してしまうから。

 

塾講師をやっているけど、子ども達を見ていると、
頭の良し悪しは残念ながら生まれつき決まっていると思う。

 

才能ばかりが優遇されて努力が報われない…というよりも、
世間が努力に正当な報酬と評価を与えずに、努力=徒労になっているのが現代だと思う。
やりがい搾取がその典型。

 

漫画とかドラマみたいな創作物で、
「才能がある人が努力しているから勝ち目が無い」って内容の作品がだんだん増えている気がする。

 

林修先生が言っていたけど、勉強のトップ層ほど、自分たちが本物の天才に勝てないことを自覚し理解している。
ただ、そういったごく一部の天才以外の大多数の人は、努力でなんとかしている人達だから、努力しないって選択は間違い。

 

凡人同士の低レベルな争いでは努力量がものを言うが、
それがどんな世界であっても、ある程度以上からのハイレベルな戦いは才能同士の優劣の競い合いになる。
凡人がもぐりこむ余地は無い。

 

格差社会の影響で、階級が固定化されて階級間移動が不可能になり、
努力が報われない社会になりつつある。

 

そもそも、才能が全て、なんて世界中のみんなが知っている。
世界全体から見れば、日本特有の努力至上主義の方がおかしい。

 

ニートみたいな無能な人に本当に必要なのは、
その人の能力の程度に見合った職にさっさと就くように、厳しく的確に指導してあげること。
それなのに「才能は誰にでも眠っている!」みたいな変に夢を見させる事を教えるから、無い才能をいつまでも探し続けて人生が詰んでゆく。現代はそんな人達であふれかえっている。
能力の無い者にとっての分不相応な大きな夢は、救いになるどころか人生が破壊されるんだよ。よく覚えておけ。

 

自分の能力の種類をなるべく早く自覚して、その方向へひたすら努力するのが賢明だよ。

 

「人間は不平等」って当然の事実を前提にして生きないとね。

 

日本には「適材適所」って考え方がもっと根付いた方が良い。
適性の無い職にいつづけて「努力すればどうにかなる!」って無駄な頑張りを続けても、当人も雇用者も双方不幸になるだけ。

 




才能はそこまで凄くないので過度な信仰は×

 

「才能がありさえすれば全て上手くいくのに」「才能がある人が人生の勝者」「才能がない自分はもう何の勝ち目も希望も無い」といった、盲目的な才能信仰がよく見られるが、実は才能の価値はそこまで高くはない。

「極めて運が良い」「親が資産家で子どもの自分も資産継承で良い暮らしができる」など、「才能」よりも序列が上の価値が存在していて、「顔が良い」「生まれつき健康」「スポーツが得意」といった、生まれつきの価値を全て順位付けするとしたら、「才能がある」は真ん中程度の位置にある。




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「才能がある」人が一生仕事に打ち込んだとしても、「6億円の宝くじを当てる強運」よりも金銭的結果は下。才能が全ての価値の中で最上位…という考え方は、多分間違っている。

 

 

そして、たかだか「才能がある」程度では成功者になることは難しいのが事実。才能がある人同士がしのぎを削って、勝ち上がった「ごく一部の巨才」が業界の一流人として華々しく活躍しているのが世の中なので、天才とは遠い「普通の才能」では大したアドバンテージにはならない。その事が他人より少々上手くできる程度の「才能がある」では、才能人同士の競争に敗れて人知れず消えていく。

たとえば、漫画家の世界でよく見られるが、自分の個性と画風と興味を突き詰めた熱血系漫画が、現在の日常系漫画の流行で完全にお払い箱になり、どこの出版社も相手にしてくれなくて無職になるという、才能頼りの人生の結果、時勢の変化で生活が立ち行かなくなるということも往々にして起こる。

無難に会社員生活を送ることができるという安定した能力も、才能と同じく高い価値がある。才能に憧れて自分の人生に失望するのはさっさと止めた方が良い。



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