現代の若者達が努力や、挑戦や失敗を嫌いすぎていることの原因を調査したので、報告します。
若者が失敗と挑戦を嫌いすぎている理由の4つの仮説
1.将来への不安感から冒険を忌避している説
生まれてからずっと経済成長が低迷しているゆとり世代・さとり世代が、日本に明るい未来を期待する事がそもそもできるはずがない。
子どもの頃から将来を不安に感じているせいでおのずと保守的な考え方が身に付いてしまい、そのせいで挑戦と努力を避けるようになってしまったとする説。
2.インターネットの普及でリスクに敏感すぎる説
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今の時代、手元のスマホはネットに常時接続状態で、いつでもどこでも好きな情報をネットで検索できる。
日本の就職事情で定番となっている新卒至上主義や、格差社会問題などの、挑戦を否定する事実がどんどん目に飛び込んでくる。
ネット上には夢あふれるような情報よりも、「それはやめとけ」というネガティブな情報の方が圧倒的に多いので、そのネガティブ情報に毒され続けて挑戦と努力ができなくなってしまっているとする説。
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3.すでにある程度満たされているのでわざわざ挑戦する意欲が湧かない説
生まれた時から小綺麗な家や便利な家電や美味しい食事に囲まれて育ってきた若者世代は、すでにある程度恵まれた境遇にある。
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そのせいで、がつがつした気持ちや欲が起こらずに、「今の生活で別に満足しているし…」と淡泊な性格に育っているとする説。
4.同世代の間で努力や失敗がかっこ悪いという認識が共有されていて挑戦できない説
「頑張る事が恥ずかしい」というおかしな恥の意識が若者間で共有されている。
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この理由は、「会社員なんて社畜なのに頑張ったって意味が無い」とか「才能のある人が成功するのであって、努力する事は才能が無い事の証明になってしまうので避ける」といった考えが背景にあるようだ。
若者が努力と挑戦に否定的な事を表すデータ
若者の3割が「努力は報われない」
- 20代~30代の若者の回答で、「努力しても報われない」が約3割に上った
- 日本の将来・経済には楽観的な考えをもっているが、その反面、自分自身の生活は変わらず努力も報われない、という若者心理が本調査で浮き彫りになった
2013年10月から12月にかけて回答調査し、情報・システム研究機構「統計数理研究所」が発表した「日本人の国民性調査」より
「日本は一度失敗すれば終了」という強い思い
2012年のノーベル生理学・医学賞に決まった山中伸哉教授の「成功するために、失敗をたくさんした方が良い」という趣旨のエールに、一部のネットユーザー達の反発が起こった。
- 若い間に、いっぱい失敗と挫折をして下さい。1回成功するためには9回失敗しないといけない。
- ジャンプしようと思ったら、一度かがんで姿勢を低くしないと跳べない
ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「次世代へのメッセージ」での発言
- 日本は1度失敗したらもうダメという社会。安易に失敗を勧めるな。
- 社会に、失敗を許容する空気が無い
- たくさん失敗してもその後に成功できるのは、山中教授みたいな才能豊かな人だけ
- 日本は受験・就活を1発で成功させないと、もう失敗の人生という国
- 失敗して正規レールから外れたら、派遣・フリーター・ニートになる
- ノーベル賞を取るほどの人だから、世間とは感覚がだいぶはく離している
- 自分で勝手に「1度失敗したら終了」と決めつけている
- 何もしていないせいで失敗、やる前から挫折しているなんて論外
- 山中教授の話は、試行錯誤した失敗をいくつも重ねるのならいつかは成功できる、ってこと。
成功するために、意味のある失敗を重ねた方が良いってことだろう。
外野から見た、若者の失敗恐怖現象
「挑戦することを周囲に笑われる」のを恐れているような感じがする。
「諦めている」「めんどくさい」って感情に支配されているイメージ。
けっこう裕福に育ってきている。
結果、成功に対するハングリー精神が無い。
それをネットで知ってしまったりしたら、やる気も無くなるだろうな。
そして現代では、失敗の前例をネットで検索することが可能。
そのせいで「調べれば回避できるはずなのに、それでも失敗するなんて無能すぎ」って笑われる風潮ができている。
結果として、挑戦ができない心理状態になる。
それを、「今の時代、失敗したら終了ですから。慎重派で、ネットで色々検索して世の中を良く分かっている俺ってかっこいい」って美化してるんだよな。
失敗しても謝りたくない・努力しているのを周りに笑われたくない、って感じの、ダメな種類のプライド。
でも今は何もかもが手垢がついていてごく一部の天才以外には成功しようがない状況。
結果的には、少数の成功者と大量の失敗者が生み出される。
今の時代はネットで事前にリスクを知ることができるから、みんなおびえて挑戦できない。
それじゃ成功者がほぼゼロの状況だから、昔の方が良い時代だったかもしれない。
彼らが求めているのは、安心・安定・妥協した幸福感みたいなもの。
成功者のように大きなリスクを取れとまでは言わないけれど、
若者は持たざる者なんだから根拠のない自信をもって掴みに行かないと何も得られない。
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コメント
大変、興味深い為になる新人類たちの思考を垣間見ることができました。しかも、若者の心の動揺まで感じ取れました。私も、個人的に若者世代の無責任感を払拭する為の学校では身につかない企業が行う教育の在り方をいつも考えています。今は、親や先輩の背中を見て成長してくれる人は、ごく一部になっていて、いくら努力を押し付けても効果は出ないことや、入社時からの教育を経営者が充実させないと中々、責任者的存在が生まれて来ないと考えています。(但し、医者や学校の教育者は、学業の中で仕事の本文くらいは教え込んで頂たいものです)但し、中山教授のような稀な才能が、ある人だから、確かに成功に辿り着いたのかも知れません。だけど、自分が信じる事や問題を感じる事柄を議論を避けて捨てて行くから、本人もその組織も改善や発展が、進まない環境を作っています。意見をぶつけて対立した相手に、自分の改める部分や相手に対しての改善要望をして実行したときの良くなる部分とそうでない部分などを一緒に評価してプラスの妥協と合意で力を合わせていくことが本来のコミュニケーションの利点だと思います。また、改善すべき点などは、個人的に思考錯誤していく事を捨て置いてしまうことは、社会人としての成長を放棄してしまっているのと同じで、何かに継続して納得するまで考えてみることは、そのことが単体で自分の理想の成功とならずとも、長年積み重ねることで、同年代の人たちよりも判断力や洞察力、料理人に例えると自分にしか出せない旨味が、自然と身についてくるはずです。特別な人でなくても、十分人に頼られる自分なりの旨味を醸し出せるようになります。人生の結果として、このような目標ではだめなのでしょうか。恵まれた世代だから、一日1回ご褒美がないとやれないのかも知れませんね。何もしなくてもニコニコしていれば、3時のおやつを貰えたように!年代に合った成長をしないと、リスクから逃げてきたつもりでも周囲に迷惑をかけてしまい後ろ指をさされる事が増えていく事は、努力が伴うなら嫌なんでしょう!書いていくうちに、結局ずるくダラダラと最低限の生活を送れれば良くて、当て口実で社会のせいにして自分たちの正当化に誘導するネットワーク作戦に持ち込もうとしたい!こんな、感じでしょう。昭和の時代にも一部にこんな人がいましたが、今はこんな若者が過半数を超えてきました。新型コロナ以上の感染ぶりですね。考えられるワクチンは、入念な新人教育しか、思いつきません。本文や、尊厳を理解すれば、まん延しつつある社会現象症に対する永久免疫を確保したことになります。